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妻子を事故で亡くして絶望の淵にいる男がある時映画に出会う。
10数本の無声映画を残したまま忽然と姿を消したその映画作家に見入ってしまった彼はやがてその映画作家についての唯一の評論を書く。そんなある日その映画作家の妻と言う女から手紙が届く。 「絶望」「消滅」というポールオースターが何度も繰り返したテーマを本書も扱う。 かつてジョン・ゾーンは架空の映画のためのテーマ曲を作曲した。本書も架空の映画の描写、架空の映画の評論が詳細にわたって展開される。その微細にいった描写があまりにリアリティを持ち、目の前に浮かぶようだ。これはフィクションではないかという幻想に誘われる。 奇妙な、あまりに奇妙な生があちこちに展開される。そんな生はあまりに映画的であり物語的であるが、物語を読んでいるという感覚さえも忘れてしまうほど、物語にめりこんでいるからこそ、その物語性と現実との敷居があやふやになってくる。 映画をめぐる物語であるが、その架空の映画がリアリティあるもので物語までリアリティを帯びてくるという二重構造をとっている。 そんな二重螺旋階段がテンポよく上昇を続ける。そしてポールースターの物語のいつもの展開通り、思いもよらないところへと読者をいざなう。 残されるのは喪失である。 物語はあらかじめ現実が喪失されている。そんな物語の宿命を担うかのようにオースターの物語はこれでもかと読者を喪失の海へと投げ込む。 だからこそ、オースターは村上春樹や吉本ばななの読者層がよく読むのだろう。 村上や吉本はあらかじめ「喪失」している。 しかしオースターの喪失は運命の扉が開かれ、ミステリーの河を泳ぎ切ったあと突如として現れる。 村上は井戸を掘り垂直の運動をとるが、オースターはどこまでも水平に進んでいく。 しかし水平の運動はつねに天へと開かれ、地殻へと通じている。 オースターの物語を読むと僕らは天を仰ぎみるしかなくなる。 オースターのそんな魅力が一挙に詰まって本が本書である。間違いなく彼の代表作の一つとされるだろう。
やっとできた諏訪中音頭
http://www.youtube.com/watch?v=qB3H2rufPE4&feature=share ボーカルの歌い方とか鐘の音の音量とか、間奏とかベースラインが気になる。 だけど、みんな夜勤とかをやりながら夜遅くまでやって仕上げたのでまあしょうがないかな、と。 アレンジは今離れたところに勤務している関係でほとんどかかわれなかったし。 映像はひょっとこ君が違うところを頑張るべきなのを、ずっとがんばっていた。 楽譜なんて書いたなんて20年ぶりくらいだし、音楽から離れて10年くらい。 歳をとるって不思議なことで、曲を書くとは思っていなかった。 おととしは舞台にあがっちゃうし、歳をとるのも悪くはないかな、と。 あとは本番がどうなるかだね。
千曲市上山田中学校でおこなわれたメガとがびに行ってきた。
選択美術をとった生徒が発表をするもので、2004年から中平先生夫婦が外部アーティストなどを呼んで一般公開したものだ。 http://www.gakko-bijutsukan.com/ 学校という制約が余りに多いなかで、このような活動をつづけるなんてそれだけで応援したくなってしまう。 中学校に入ると、建物の息苦しさで胸が詰まってしまう。 全てが可視化された空間、ところどころに張ってある「目標」、すべては標準化され、無個性へと誘導される装置。 しかし、アートはこれとはまったくのベクトルが働く。 生徒たちの発表は正直、学校装置によって、無個性かつ没表現化されてしまった身体から抜け出せてはいなかったが、それでもきっと彼らの身体には種がまかれて、いつかは花が開く時があるだろう。 展示の中では、丸子の高校の美術部の展示が圧倒的であった。 そして、わが友かねやんや斉藤君、重森さんの世界装置http://sekaisouchi.jugem.jp/のパーフォーマンスは中学生たちを確実に巻き込んだという点で、圧倒的であった。 最初は人前に立つことに慣れていない中学生たちだが、時間がたつにつれて、パフォーマーの顔に変貌していったところがすごかった。きっとそのうち、あの空気、緊張感がなにかをもたらすだろう。 コンテンポラリーダンスは男がいまいち元気がないので、世界装置頑張ってほしい。そして来年は茅野に呼ぶぞ! なんとセレクトのsさんの後輩で蟻が崎高校出身とう伊豆牧子さんhttp://ja-jp.facebook.com/izumakikoとも知り合った。彼女のパフォーマンスは中学生たちに小さなパフォーマンスをさせるということであった。 なかなか苦戦はしていたが、まずは体験することでなにかが生まれるかもしれない。 彼女のソロパフォーマンスは空間、時間をきちんととらえられていて、気持ちのいいものであった。 こちらもぜひなにか長野のアートのためにかかわっていきたい。 ということで、すっかりコミュニティアートに感化されてしまった。 ぜひぜひ、来年以降の自分の活動につなげていきたい。 ![]()
1日目:北京で一泊。北京空港のホテル予約を行ったが、高くて汚いホテル。失敗なり。
2日目:北京からの中華航空が飛び立たない。いきなり機内食。そして2時間離陸待ち。ミャンマー着陸後の予定がきつきつであったため、かなりあせる。昆明を経由して1時間半遅れでヤンゴンへ。持ヤンゴン空港で航空券、列車チケットを受け取り、タクシーでヤンゴン駅へ。16:00発の電車でバガンへ向けて出発。ベトナムの経験から、駅ごとに物売りがわんさかくると思いきや、全く停車せず。空腹のまま列車は進む。隣は日系人とアメリカ人。 脱線するのではないかと思うほどの横揺れ。現地の人にカメラを向けると係員が制止。夜は見渡す限りの水田と蛍の乱舞で銀河鉄道かと見間違うほど。空腹であるが、心は満たされた。 3日目:寝台車を起きると、相変わおらずの田園風景だが、ヤシの実がなるような風景が続く。やっと列車は停車。みると駅で現地向けのカレー屋さんが!1000チャット(100円)を払い、購入。激うま!お惣菜とカレーとの組み合わせが最高。結局このときの食事が最高においしかった。 列車は2時間遅れでバガンに到着。駅からはピックアップタクシーに乗車。ガイド本より安く、しかも歩くというのを聞かず3軒のゲストハウスめぐりを付き合ってくれた。ミャンマー人の親切に感謝。少し中心街から離れたコテージ風のゲストハウスでに宿をとった。 それからは自転車を借り、軽くバガンの遺跡観光。バガンは仏塔が1000以上もたっている雄大な遺跡。熱くていくら水を飲んでも呑みきれないほど。軽く走る。その後マーケットに行き、夕飯を食べる。夕飯はおしゃれな若夫婦のやるレストランでミャンマーカレー。 4日目:正直なにが面白いかわからなかった前日のバガン遺跡。この日は馬車で出発。約1000円(11000チャット)。馬車は7歳馬が引っ張るものでややおそめ。馬車のおっちゃんは10万くらいかかる馬車が変えずに雇われ人らしい。ぱっかぱっかと音を立てて馬車は進む。すると数限りない仏塔が見えてくる。すごい。1000年近い昔の建築物だが、かなりの高さまで登れる仏塔まであって、そこからみると雄大さにびっくりして、感動を覚える。どれだけ栄え、どれだけ信仰をもったのか。人々は仏と一緒に生き、暮らしていたのだろう。ゆっくりと遺跡を回り、昼はミャンマーカレーのセット。よくある観光地のセットであまりおいしくない。午後もゆっくりと観光。照りつける暑さの中でややぐったり。お土産物屋の攻撃もそれほど強くない。ちょっと砂絵がほしくなってしまったが、がまん。 朝6時起きで出発。ゲストハウスの朝食はコンチネンタルでおいしい。特にコーヒーはベトナム式の濃いコーヒーでなかなかの味。この日は馬車で空港へ。すでに20カ国近く以上旅行をしているが、空港へ馬車へ行ったのは初めて。車で10分以上かかる距離を馬車は走る。この日は3歳馬で、御者はばしばし馬をたたき、「アーウー」とか変な掛け声で馬を駆りたてる。20分で空港に到着。もちろん空港に入れなくて少し手前から歩いていく。 マンダレー航空で20分程度飛行機に乗りマンダレーへ。飛行機はネパールのような落ちそうなものを想像していたが、オランダ製でかなり快適。 空港からはタクシーでホテルへ。ホテルはまずまずのゲストハウス(14ドル)。すぐに隣の麺屋さんでミャンマー麺(モヒンガー)を食べて、市場近くのピックアップトラックへ。ピックアップトラックから90分かけてザガインという街へいき、そこからトゥクトゥクのような乗り物で友人のいるワッチェという村の病院へ行った。 そこで友人はジャパンハートというNPOで医療支援を 行っている。出てきた友人はオペ着を着てでてきた。先日まで小児科医だったはずだが!?なんとそのままオペ室へ。オペ室へ行くとでっかい金玉をした人が横たわっている。あの西郷さんがかかったフィラリアという寄生虫による陰嚢水腫でオペを行う。なんだか清潔野も不潔野もあやしい感じのオペナース。友人と現地の医師の二人であっという間に陰嚢水腫のオペ。「これでも小さい方だよ」という友人の言葉にびっくり。後で聞くと使い捨てのメスが手に入らなくて、みんなで煮沸消毒をしながら準備をしているとのこと。 それから彼は外来へ。1日に5,6件オペをこなしながら、5,60人の外来を行っている。次から次へ手際よくさばく。日本だったらすぐに検査のはずだが、検査はほとんど行えない。対処療法で経過観察がほとんど。リンパ節腫脹の若い女性が来たが、最初の鑑別疾患は結核。日本ではありえない。かれは手際よくリンパ節生検の予定を書き込んでいく。1年いる医師の何人もが結核に罹患するという。結核治療もお金の関係から途中でやめる村人もいるとのこと。 病棟も案内してくれた。病棟は清潔ではないが、笑顔であふれていて、患者も家族もみんなで自炊しながら泊まりこんでいる。陰嚢水腫、ほうかしき炎、口唇裂など様々な病気。僕らにも笑顔を振りまいてくれる。なかなか治らない病気が多い中、必死に闘病をおこなっている。病棟管理はみな看護師の仕事だそうだ。 ミャンマー政府からはあまり歓迎されていない彼らは、州の病院を借りて医療を行っている。お寺で共同生活をしながら、自炊し、河から汲んだ水で身体を洗い、仕事をしている。彼は朝6時に起きて、まず瞑想を行う。その後医師の彼が朝ごはんを作る。その後、ずっと5時まで上記のペースで仕事。そしてその後ミャンマー人ナースに彼が日本語のレクチャーを教える。開放されるのは6時ごろ。NPO代表が来ると15,6件の手術が入り、深夜に手術が及ぶことも珍しくないとのこと。 なんともびっくりの連続だ。 夜は友人とマンダレーで食事。バーベキューをつまみながら、1杯70円程度の生ビールをごくごく。かなりおいしい。感動と大満足で眠りにつく。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
1か月も前から楽しみにしていた山行のはずが週末はずっと雨。
この悲しさを吹っ飛ばすために、どこかに行こうと考えた。 師匠のいる福島か友人のいる京都か。 けっきょくひょどの転居を祝っていないのを思い出し、しかも出版の件でお世話になっていたのを思い出し、京都行にしようと前日に思い立つ。 朝6:40分にバスに乗り京都へ。 京都には11時15分につく。どこに行こうかと思ったが、あじゃぱが貴船神社を勧めてくれたので、叡電に乗って鞍馬へ。鞍馬から鞍馬寺へと歩いて行ったが、思いのほか急坂。運動不足がたたって、ひーひーとなった。しかし、山道は心地よく、あまり里山をあるかないので、とてもいい経験となった。 貴船にたどり着いたころには雨が降っていた。貴船神社はえらいこんでいた。川床はどこも高くて、一杯やろうと思う気にもなれず、そうそうと退散した。 あじゃぱねのお勧めの出町柳はなるほど素敵で、名曲喫茶も行きたかったが、一杯やれないということでスキップ。しかし、その周囲のカフェもジャズ喫茶もおしゃれでいい感じ。後ろ髪をひかれる思いで、歩きだした。京阪は高いので、とことこ寺町を目指して歩き出した。府立医科大とか初めてみたし、その周囲にも素敵なカフェが多かった。京都はカフェが多く、お茶文化が現代に根付いているのかなあ。 途中、鴨川沿いのカフェでビールとカナッペで休憩。そのあと寺町へ。寺町は驚きであった。旧来のアーケード街であるのに、ブランド店と個人店がいい具合にミックスされている。しかもアパレルではmensが一階でwomenが二階という組み合わせ。ブランドもこのようなところによく出店しているなと感じた。なにが求心力であろうか。そういえば、男性でおしゃれな人が多い。街として面での展開が行われており、個人店が楽しく、時間消費を構成できる。CD屋や本屋やゲームセンターはないが、十分に時間をつぶすことのできる通りとなっている。かなり驚きな通りであった。今度は新京極を含めてもう一度解析をしてみたい。 よるは同級生のKちゃんと呑みに行った。古民家のような居酒屋で、魚がおいしく、とくに鯖寿司が絶品であった。kちゃんとは昔から仲が良く、二人は呑んで、語り始まるととまらなくなる。Kちゃんはなんと医者休業して、染色をしている。お互いの近況から映画の話まで話は尽きない。野菜をとるという行為はなんて本質的なんだろうという話が印象的であった。 ホテルではバタンキューであり、起きると9時半。あわててシャワーを浴びて、飛び出す。 京都近代美術館でやっているモホイナジを見にいった。しかし、すぐ隣でフェルメール展が・・・。 フェルメールは死ぬまでに絶対全作品を観てやろうと思っているが、「手紙を書く女」はワシントンギャラリー。アメリカは大嫌いなので、行くことはないだろうと思い、こちらも見ることに。手紙を読む青衣の女は修復後。アムステルダムで観た時はしっとりと来たが、日本では人が多くてゆっくり見られず。でも東京で観るよりはずっと人も少なく、じっくり観ることができた。「手紙を書く女と召使」もダブリンの美術館。ダブリンに行った時みたか、どうか忘れてしまった。 次に行ったモホイナジはオランダ絵画の後ではとても面白かった。徐々に抽象化され、構成されていく、近代の視線。多くの試み。現代に比べて何と生き生きとして、チャレンジングな時代だったろう。 美術館を出てすこし東山を歩くが、町屋が多く残りとても雰囲気がいい。悔しいが京都に魅了された。久々に京都に住んでみたいと思った。街のあちこちに美術館のポスターが貼ってあったのもいい。街で美術を支えている感じがした。しかし、以前はもっと現代アートが町に顔をだしていたような? 先斗町へ。ひょどと待ち合わせて昼から飲む。先斗町ではいい店がやっておらず、結局市役所のそばの呑みやへ。出版業界の話や労働運動について聞く。彼の人生はなかなか迷走している。出来る男なので、ぜひともいい場所に着陸してほしいものだ。 その後お土産を京都伊勢丹で買う。あれだけ脚光をあびた京都伊勢丹であるが、なんだか建築はぱっとせず、寺町の活気とは質が違った。 1000年以上の時を経て動いている京都。磁場が違う。これからも日本文化と日本の街を先導してほしいと感じた。
幼いころ近くのおじさんに騙されカブスカウトに所属した
本当はサッカーがやりたかったのだが、なぜだかカブスカウトに入らされた。 サッカーをやりたいというと、「カブスカウト」があるでしょ、と怒られた。 あのいぼいぼがついたサッカーシューズを持って、シュートをしたかった。 しょうがないから運動靴でシュートをしたが、すぐに滑った。 カブスカウトに入るといじわるな佐藤君にさっそくいじめられた。 だからカブスカウトはいやなんだと親に言った。 3年生になると近くのおじさんにだまされ少林寺拳法をはじめた。はじめは泣きながら参加したが、 なんだかこちらのほうがかっこよくて少しだけはまった。 だからカブスカウトの悪口ばかり言っていて、親は困った顔をしていたが、ぼくはしてやったりという顔をした。 カブスカウトで相生小か天沼小には松田君という大柄な男の子がいて、お父さんも大きくてやさしかった。けちくさくてすぐ怒るうちの父さんとはちがったので、いいなと思った。 松田君は兄弟で参加していた。ある日市内のカブスカウトの集まりで、松田君が親戚と一緒にいた。 ボーイスカウトに入る学年に入ったが、僕はボーイには進まなかった。「ボーイにいかないこはぐれるよ」と親は言われていた。僕はぐれなかったが、将来根性は曲がることとなって、矯正がきかないほどになった。それはもしかしたらボーイスカウトの呪いかもしれない。 やがて、親が「松田君の親戚がすごいサッカーが上手なんだって。育英高校からプロに入るんだって」と言った。その親戚は松田直樹だったろう。松田君と一緒にいて顔も覚えていないあの子は、僕がはくことのなかったサッカーシューズを履いて、羽ばたいていた。 桐生に帰ることもほとんどなく、松田君という名前を忘れていたが、松田選手が松本に入るというニュースは耳にした。僕と同年代の選手がどんどん辞めていったから、頑張ってほしいと思った。 そして突然の心肺停止の一報。松田選手は祈りもむなしく旅立っていった。僕が学んだ大学に入院した。実習で僕をぼこぼこにいじめたくせに、被災地では基礎的な処方さえできなかった教授が記者会見していた。あの冷たい大学で彼は呼吸を止めたのだ。 今日は松田選手は桐生に帰るという。 僕はしばらく帰ることはないだろう。 参考 「松田直樹とボーイスカウト」 http://www.scout-gunma.org/colum/beaver_sikoutai.html
「外に行ったら、たくさんの家が流されてきた。母と娘が屋根に乗っていて、助けてーって叫んでいた。うちの父さんが娘をどうにか助けたけど、母親はそのまま流されていった。」
「今回の地震はいやな気がした。妊娠中の娘が気になって娘のところに車で出かけた。そしたら真っ黒な津波が川をどんどん渡ってくるのが見えた。おっかなくなって車を走らせた。あっという間に橋が飲まれた。道が壊れてしまって娘のところに3日間いた。帰ったら一人ぼっちにしていた婆さんが数日間おかしくなってしまった。」 地元の被災者から聞く話はどこか昔話の遠い国の話のようだ。石巻の北上川流域から女川にかけて、地域全体が消滅してしまった壊滅的な風景をみると神話的ともいえる光景が広がっていた。(その景色を観たい方は映画「無常素描」を参照してほしい)しかし、それは昔話でもなく、神話の世界の出来事でない。紛れもない日本の出来事なのだ。トラウマになりそうな風景には目をつぶり、被災地の目の前の一人一人に目を向けなければいけない。 私は5月6-8日福島県南相馬市に、5/21~5/26 NPO「JIM-NET」経由で宮城県石巻市河北地区に医療支援に出かけた。人口16万人の石巻市は二つの大病院の一つ石巻市立病院(約200床)が津波で被害を受け入院治療ができなくなった。石巻赤十字病院を中心とした石巻圏合同救護チームが各地域に分かれ、効率的な医療活動を行い、成功をおさめていた。赤十字病院の会議に参加したが、的確な情報収集と指示で、JMATやDMATが活発に活動をしていて、大変感心した。私は5日間、河北地域で訪問診療、日赤での会議、ボランティア協議会のミーティング、河北支所での打合せなどの活動を行った。そこでは急性期の災害医療だけでは対応できない現実が垣間見えた。 入れ替わり立ち替わる支援の医師では、「不眠には安定剤」「創傷には保湿し保護」といった応急処置しかできない。症状の背後にある悩み、苦しみ、そして継続的な観察と介入が必要な創傷に対しては十分な医療が行えない。山のような安定剤などの薬を盛られたまま、内服をやめてしまった方、小さな傷が進行して下肢切除にまで至った方がいた。精神疾患があるが受診を拒否している青年は、夜中に声を出し動き回っていたが、なすすべはなかった。児童の7割が津波に飲まれてしまった学校に通っていた児童は、原因がよくわからない腹痛を訴えていた。「もうどうでもよくなった」とインスリン注射をやめてしまった男性は、避難所の救護班の診療を受診することはなかった。緩和ケアの病床が十分でないため、ターミナル患者が十分な鎮痛のなされないまま在宅に返され、「いたいいたい」と叫んでいた。避難所には医療班が充実し医療機関へのアクセスはだいぶ回復していた。しかし、本当に医療とケアを必要としている人に医療が届くためには、違ったパラダイムが必要と考えられた。災害医療の「慢性期」の医療支援を考える時期と思えた。 以下、東北に点在すると思われる河北地区のような医療過疎地域への今後の医療支援について私見を述べたい。河北地域はもともと1万6千人の人口に対して近辺の診療所は4軒程度という医療過疎地域である。しかも今回の震災は人間存在の根拠である家族-住居-地域-風景全てが破壊されたという未曽有事態である。心身ともに傷ついた被災者の全体を診て、潜在的な患者を見つけ、より少なくなった病床を守るため以下の点が重要と考えた。①皮膚疾患、整形疾患、精神疾患まで対応が可能なプライマリーケア医②継続的な支援、少なくとも十分な申し送りのなされる同一チームでの支援③震災前から十分でなかった訪問診療、在宅看護、訪問リハビリの充実④医療機関へのアクセスを確保するだけでなく、コミュニティの再構築の観点からコミュニティベースの医療拠点(訪問看護ステーション併設の診療所が望ましい)⑤福祉施設や職員の不足から、福祉サービスの水準が以前より落ちているため、福祉サービスの復興⑥疾病を未然に防ぐ地域ヘルスプロモーション活動。 被災者や被災地の自立を妨げるため元の医療水準以上の医療支援を行わないという議論がある。一時的な支援ではその通りと考える。しかし、復帰でなく文字どおりの「復興」を目指すなら、以前より少しだけ高い医療水準とより一層の医療-福祉-保健の連携強化が必要であると考える。問われているのは「慢性期」において、地元で継続的な形で、どのような医療復興がなされるかである。部外者である我々がそのために何ができるかである。
ハーバルノートの萩尾さんに「病人が元気になるハーブを」「病室で入れられるようにティーバックを」といったら,養命酒,くらすわと協同商品つくってくれた.うれしーわ.言ってみるもんだ.
丁寧に手紙を書いてくださって,職場に持ってきていただいた. 先日森下真樹さんがいらしたときには,森下さんもハーブティーを調合してもらっていた. http://twitpic.com/5ill85 http://www.herbalnote.co.jp/ 詳細はこちら http://t.co/6aCx03b おしゃれなパッケージと3種のおいしいハーブティー.たくさんかって,患者さんと一緒に飲もう. とても素敵な体験. ハーバルノートまで自転車で行く季節がやってきた.
作品を作るということは自己と対峙することである。
しかし、どこかで自己を客観化、対象化しなければ単なる自慰行為でしかない。 自己を振り返って、自分の殻を突き破って、未来に向かって進んでいく。 そんな感じのソロ公演が多い。そういう表現には辟易してしまう。 だけども、森下さんの場合、表現があまりにも森下さん自身を表してしまっているので、みんなが「うん、よし」としか言いようがない説得力を持っている。 その人そのものの部屋に入って、その部屋をあれこれ批評する間もなく、その人を感じてしまうようなものだ。 今回の公演もそんな感じ。 振付も演出もそれほど目新しくないが、空間全部が個を示すので思わず納得してしまう。 茅野公演ではそれに市民ダンスのアトラクションあり、専務自ら1週間かけて組んだ櫓での茅野うずうず音頭ありで、茅野市民はだれも批評出来ないほどにあっとうされてしまった。 黒田育代さん、東野祥子さんなどこの時代にも多くの共感を集めるパフォーマーがいるが、同じように売れっ子である理由もよくわかった。 終わった後は打ち上げ。 森下さんのお母さんと妹さんと最初はお話ししていたが、圧倒的な面白さ。二人の喋り倒す圧倒的な面白さは森下さんが生まれて秘密を観たようだ。 結局2時半までみんなでお話しして帰宅。森下さんたちは4時ごろまでお話ししていたようだ。 次の日は9時に集合。山に行く予定だったが天気が悪く断念。高過庵、守屋神長官、諏訪大社、温泉、ハーバルノートなど御案内してお別れした。 森下家に圧倒された1日。 森下さんも茅野を気に入ってうださったようで、よかった。
6/2 病院でダンスのワークショップ!
リハビリ病棟でリハビリに励んでいる患者が25名も集まって、森下真樹さん のワークショップ ボランティアさんが作ってくれている美しいお花畑で、森下さんがパフォーマンスを行い、そのままワークショップ。 看護学生が10名もボランティアに来てくれて、一緒に踊ってくれてた。 研修医のU野さんも一緒に踊ってくれた。 簡単な動きをして、最後は「恋の季節」をみんなで踊った。 僕が飛んだり跳ねたりしていたら、患者さんから「おー」と驚きの声が。 白衣で踊るってインパクトがあるんだろうな。 最後は6/18の公演に向けて、宣伝のための「ねこにゃんダンス」の動画どりを看護学生と一緒に行った。 駅通路にある液晶画面で放映されるそうだ。 前日は12時過ぎまで、森下さんと館の人々とばか騒ぎな飲み会をやっていて、朝5時に呼び出されえて眠かったけど、すごい楽しい1日だった。 6/18 森下真樹 「月に吠える犬」 18:00 茅野市民館 いらしてください! http://www.chinoshiminkan.jp/ccc/2011/0618/index.htm
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